日本SF作家クラブ編『ポストコロナのSF』読了

引き続き短い感想を。

  • 飛浩隆「空の幽契」。幽契=神々どうしの約束。っていう意味初めて知った。神話編のところをもっと読みたい感じ。飛浩隆の文章は相変わらず美しい。
  • 津原泰水「カタル、ハナル、キユ」。解説に「異形の作品」とあるが、異形というより異様。構成も異様。「イム」という架空の音楽体系と、それを奏でる人々の文化を語るのにほとんどのページ数を費やし、最後2頁ほどで「イム」の奏者の妻が伝染病で死んだことをエピソードとして入れ終了する。「ここで終わるのか」と感じる異様なラスト。ただ、そもそも人生や世界は人間一人一人にとって異様な出来事に満ちているので、こういう風に書くことが正解なのではないかとも思う。津原泰水の描写力はいつもながらすごい。このページ数で、この場面数でどうしてこんなに一人の人間の人生を深く味わった気持ちになれるのだろう。
  • 藤井太洋木星風邪」。木星のコロニーの中で感染が起きた場合の細かい対応を書いた描写に具体性が込められていて素晴らしい。
  • 長谷敏司「愛しのダイアナ」。いつも弱者で、でも新しい未来に到達できるはずの若者や子ども世代への祝福に満ちた短編。ただ、わざとやっているのかもしれないが、ちょっとの改善で読みやすくなるのに、そうした気遣いのない文章が目立つ気がする。元々、そういう文体であり、シリアスな長編ではその読みにくさが一定の重さを生み出すことも分かるのだが、こういう短編では一工夫をしてもいいのではないか。
  • 天沢時生「ドストピア」。一生懸命に笑いをとりにきていて、笑えるところもあるのだがすべってるところもあるなという、売り出し中の若手お笑い芸人の漫才みたいな感じ。
  • 吉上亮「後香」。嗅覚の喪失をテーマに採用したところがいい。内容も構成も趣向が凝らされている…のだが、なぜか、参照元があるんだろうな、という感覚が拭えない。参照元があっても、心に迫る作品というのは多いのだが、どこに違いがあるのだろうか。自分自身の消せないオリジナリティーを恥ずかしげもなく、計算を捨てて込めた部分があるかどうか、だろうか。
  • 小川一水「受け継ぐちから」。宇宙旅行と時空を超えるのはいい。会話文が本当に生き生きしてる。
  • 樋口恭介「愛の夢」。おおおお、なんか壮大な…。SFにしか書けないビジョンが描かれていて、多分、もっと上手く書けるひとはたくさんいるのだろうが、それでもこの作者でこの短編を読めて幸せだと思う。
  • 北野勇作「不要不急の断片」。ツイッターならさくさく読めそうなのだが、縦書きの本の形態で読もうとすると、全然入ってこず、2頁くらいでやめてしまった。いつか少しずつ読もうと思う。