マーガレット・ミラー『殺す風』

 二日程度であっという間に読み終わる。

ミラーなのでミステリなのだが、最後の一章になるまで謎らしい謎はなく中年の仲良し男性グループとその妻たち、彼らの不倫事情とそれがもたらした騒動が微に入って語られる。特に何も不穏なことはないのだが、このともすれば退屈にしかならない描写をそれなりに面白くスピーディーに読ませてしまうのがミラーの力量。

あんまり考えないうちに終章まで連れてこられ、このまま謎がないまま終わるのだろうかと考えているうちに謎がないことが最大の犯罪の証であり謎だった、と華麗に明かされる。

 ミステリ作家としての技術があるなあという賛嘆の思いが強い。

タイトルは『風の十二方位』でおなじみの「シュロップシャーの若者」より。含意はよく理解できなかった。

 

 

皆川博子「夕の光」『夕暮れの草冠』

 まずは飛浩隆を、続いて皆川博子の「夕の光」を読む。

 正直、2千円を出して購入するか迷っていたのだが、この皆川博子の短文だけでそれ以上の価値があり、もはや価格なんて考える必要はなくなった。

 皆川の紹介によって横瀬夜雨という、美しい七五調の詩に「殯宮(あらきのみや)」と名付ける戦前の詩人を知ることができたこと。

 皆川の紹介によって塚本邦雄の、令和の日本の「模造真珠」のような平和を揶揄する短歌を知ることができたこと。あの戦争を知る世代の悲惨な思いを知ることができたこと。

最後に、老境にある現在の彼女の生活を思わせる文章を読むことができたこと。

今の時代にこの文章をリアルタイムで読めて幸せだし奇跡のようだと思う。

 

 

 

 

日本SF作家クラブ編『ポストコロナのSF』読了

引き続き短い感想を。

  • 飛浩隆「空の幽契」。幽契=神々どうしの約束。っていう意味初めて知った。神話編のところをもっと読みたい感じ。飛浩隆の文章は相変わらず美しい。
  • 津原泰水「カタル、ハナル、キユ」。解説に「異形の作品」とあるが、異形というより異様。構成も異様。「イム」という架空の音楽体系と、それを奏でる人々の文化を語るのにほとんどのページ数を費やし、最後2頁ほどで「イム」の奏者の妻が伝染病で死んだことをエピソードとして入れ終了する。「ここで終わるのか」と感じる異様なラスト。ただ、そもそも人生や世界は人間一人一人にとって異様な出来事に満ちているので、こういう風に書くことが正解なのではないかとも思う。津原泰水の描写力はいつもながらすごい。このページ数で、この場面数でどうしてこんなに一人の人間の人生を深く味わった気持ちになれるのだろう。
  • 藤井太洋木星風邪」。木星のコロニーの中で感染が起きた場合の細かい対応を書いた描写に具体性が込められていて素晴らしい。
  • 長谷敏司「愛しのダイアナ」。いつも弱者で、でも新しい未来に到達できるはずの若者や子ども世代への祝福に満ちた短編。ただ、わざとやっているのかもしれないが、ちょっとの改善で読みやすくなるのに、そうした気遣いのない文章が目立つ気がする。元々、そういう文体であり、シリアスな長編ではその読みにくさが一定の重さを生み出すことも分かるのだが、こういう短編では一工夫をしてもいいのではないか。
  • 天沢時生「ドストピア」。一生懸命に笑いをとりにきていて、笑えるところもあるのだがすべってるところもあるなという、売り出し中の若手お笑い芸人の漫才みたいな感じ。
  • 吉上亮「後香」。嗅覚の喪失をテーマに採用したところがいい。内容も構成も趣向が凝らされている…のだが、なぜか、参照元があるんだろうな、という感覚が拭えない。参照元があっても、心に迫る作品というのは多いのだが、どこに違いがあるのだろうか。自分自身の消せないオリジナリティーを恥ずかしげもなく、計算を捨てて込めた部分があるかどうか、だろうか。
  • 小川一水「受け継ぐちから」。宇宙旅行と時空を超えるのはいい。会話文が本当に生き生きしてる。
  • 樋口恭介「愛の夢」。おおおお、なんか壮大な…。SFにしか書けないビジョンが描かれていて、多分、もっと上手く書けるひとはたくさんいるのだろうが、それでもこの作者でこの短編を読めて幸せだと思う。
  • 北野勇作「不要不急の断片」。ツイッターならさくさく読めそうなのだが、縦書きの本の形態で読もうとすると、全然入ってこず、2頁くらいでやめてしまった。いつか少しずつ読もうと思う。

 

 

 

十二国記

 一昨日くらいから十二国記の戴関連…というか阿選関連の二次創作をざっと読んでいる。『白銀の墟玄の月』は、私にとっては微妙な内容で著者による公式二次というか『シン・エヴァ』を見たある種の人たちが抱いたのはこんな気持ちななんだろうなと思うような気分になるものだった。

 原因は多分一つで、阿選が拘っていて、泰麒ら多くの登場人物から慕われている驍宗のカリスマ性が私には、あんまり伝わってこなかったということにある。そこの基礎的な部分が共有できないので、本編がイマイチ真に迫らず「阿選、そんな男のこと気にするなよ」という気持ちに全てが集約してしまう。

 尚隆の人を食った傑物感というのはよく伝わってくるので、十二国記の問題というよりは驍宗の描き方の問題だと感じている。

日本SF作家クラブ編『ホストコロナのSF』

 短編にしても短めのものが集まっているので、日に数編ずつ読んでいる。ケン・リュウに出会い満足してしまい、毎年の『年刊SF傑作選』も最近なんだかはまれないなと思って、もう自分に国産SFは必要ないのでは、などと思ったことはあったが、なかなかどがうして、いいものばかり。それぞれの作家の巧みさや上手さが出ているものが多いようで、読んでいて楽しい。…そうでもないものも少数あるが。

 これまでに読み終わったものだけ、それぞれ短評を。

  • 小川哲「黄金の書物」。どうした、全く切れ味がないぞ。書物に偽装した違法薬物の密輸なんて、なんでそんなよくあるシチュエーションを選んだんだ。
  • 伊野隆之「オネストマスク」。王道のマスクSF。ガジェット付き。マッチポンプ式の売り込み方など細部にリアリティがある。
  • 高山羽根子「透明な街のゲーム」。う~ん、文章はうまいなあと思うのだが、展開に新鮮さや驚きはない。
  • 柴田勝家「オンライン福男」。現実を超えて太陽系より大きく広がっていく福男選びレース。爽快で楽しかった。
  • 若木未生「熱夏にもわたしたちは」。あの若木未生が描く百合SF。素晴らしい青春小説ではり恋愛小説であり。この短さにこれだけの熱量があるのはスゴい。
  • 柞刈湯葉「献身者たち」。この作家はこういう小説を書く人だったのか。日本を含む先進国と途上国で厳然と異なる生命の重み、医療体制の差。この小説がこの本に含まれることで、日本のSF界の誇りは保たれ、もっというと救われたと思う。
  • 林譲治「仮面葬」。小説が上手い。こういうのを読むと、本を読んでてよかったと感じる。
  • 菅浩江「砂場」。シチュエーションにさすがに無理があるのではないかと思うのだが、子どもという弱者の存在や母性や差別といった有無を言わさぬ要素を混ぜることで強引に決着させている。自分の考え方に白黒つける思考方法にリアリティを感じる人もいるのだろうが、私はよく分からないんだよな。
  • 津久井五月「粘膜の接触について」。カビとキノコのメタファーからそんな遠いところへ行くとは。好きです。
  • 立原透也「書物は歌う」。エモ系ファンタジーSF。分かってもいてもやっぱり泣ける。文章がうまい。 

 

 

 

顔之推『顔氏家訓』

 講談社学術文庫の『顔氏家訓』をパラパラめくっていたら思いがけずぐっとくる文章があったので書いておく。

 章題は『晩学のすすめ』(68頁から)

 

 魏武(曹操)ら幼少期から学問を始め、老年になっても勉学をやめなかった人物、七十歳で学問を始めた曾氏、五十歳にして遊学した荀子ら晩成の大儒を上げてこう説く。

幼児から学ぶ者は、朝日の光にたとえられ、年老いて学ぶ者は、夜道の提灯にたとえられるが、それでも目をつむったままなにも見ようとしない連中より、はるかに賢明である。 

  晩成の人が得られる「夜道の提灯」。暗い人生の中を歩む上で一歩先を見通せる光であるなら、朝日と同じように得がたいものではないか。含みのある喩えだと思う。